1953-07-21 第16回国会 参議院 地方行政委員会 第13号
由来、先ほどの提案理由の説明の中にありましたように、町村おのおの結社意識を持つておりまして、そうした住民の習性を代表しておりますために、山縣内閣以来、市が積極的に誘導合併した以外は、自主的の合併が殆どなかつたと言われております。正にその通りであります。その理想は承知しながら、それができなかつたというのが実情であります。
由来、先ほどの提案理由の説明の中にありましたように、町村おのおの結社意識を持つておりまして、そうした住民の習性を代表しておりますために、山縣内閣以来、市が積極的に誘導合併した以外は、自主的の合併が殆どなかつたと言われております。正にその通りであります。その理想は承知しながら、それができなかつたというのが実情であります。
イギリスにもおいでになられたので、この頃は玄人になつておられると思うので御質問いたしたいと思いますが、今、日本の憲法がプロシヤの憲法のコツピーであつて、サゼツシヨンのままに作られたものであるということを申したのでありますが、日本の地方制度と申しますものも、これ又それと同じような形で作られて来たのでありまして、失礼なことを申上げることは省略したいと思いますが、グナイストの弟子であるアルバート・モツセが山縣内閣
日本には御承知でもありますように、或いは山縣総理大臣のときでありましたか、第二次山縣内閣のときであると思いますが、やはりああいう藩閥政府薩、長、土の藩閥政府の政権の独占をして行くということが政治的なそれの中心思想であつたと思うのでありますが、即ち政党を排除するということを非常に言いまして、いわば中央政界におけるところのいろいろな重要なところの役人というようなものも、いわゆる文官高等試験というものを及第
それからもう一つは、もつと根本にさかのぼつていくのでありますが、自由民権運動が起りました当時、山縣内閣のとき、山縣さんが自由民権運動を彈圧するために、弾圧法令を出そうとして計画をしたのでありますけれども、非常な反対に遭いまして、その弾圧法令に代るものとして、ただいまの教育勅語をつくらせたという歴史的事実もあるのでありまして、それなども多少考慮に含めまして、この際主権在民の民主主義精神から、少くとも学校
松方内閣が衆議院を解散して選挙干渉により多数の官選議員を作らんとし、山縣内閣が陰險なる方法によつて議員をして我が意に從わしめんとしたるごとき、皆官僚は議員よりも優れたものなりとの信念から來たもので、その後大分民主化して來たけれども、明治以来の弊風は依然残つておる。我々はこの新憲法施行に伴う國会並びに政府の機構の大変革の時に一大改革をなすことが最も必要なりと思う。